【悲しみの受容と解放】兵どもが夢の跡。生まれ変わって歩き出すよ
こんにちは。魔女系ブロガー&Youtuberのしきたんです。
先日は現代のシャーマンへのいろいろな反応、ありがとうございました!シャーマン道はナチュラルペースで進んでまいりますので、時期がきたらお知らせ入れますね〜〜。
てことで、これからしばらく、もっぱら私しきたん@ざくろが始めたいことの話をゆるゆるしていく感じになります。とか言いつつ、多分違う話もしますw お付き合いいただけると嬉しいです(^▽^)
ショックだった話
さて、私、リンクをちょいちょい入れてる過去のはてなブログの他にも、書いていた場所がありました。それは以前私とみくっちで経営していた会社運営のwebメディア。そこに掲載していた、本、音楽、絵画などへの私の感想・考察記事をこのざくろ庵に掲載したいな。そう思って、そのメディアを見に行くと...
見れない。
サーバもドメインも契約が切れているので、もう閲覧できないことはわかっていたんですが、あれ?使っていたワードプレスにログインもできない...の?
はい。ちょっとネットが分かる方はもう言っていることがおかしいことは分かると思います。この場合、ワードプレスで入ろうにも入れませんよね。だって、住所(ドメイン)も土地(サーバ)もなくなった家に、どうやって入ろうっていうの?
もうその家、存在しないよ?
私たちの会社は昨年の12月に営業を終了しました。(まだ法人格はあるものの事実上の廃業。)
最後はスタッフとのあれこれや事務所の引き上げやお客様の引き継ぎなど、様々なタスクで溢れているなかで...サーバやドメインの解除は支払いのストップはしました。ただ、その正確な意味を私は理解していなかったようです。今ならおかしいでしょって思うものの、当時の混乱の中ではわからなくても仕方がないとも思います。
なぜか下書き状態は見れるものと勘違いしていて、バックアップも取らずにそれらの契約が切れ、同時にインターネット上から私たちのウェブサイトとウェブメディアは消滅していたのでした。。
ショックでした。
まず、私が心を込めて書いた感想・考察の記事がもうどこにもないということがショックで。最初の原稿と、書きかけ原稿はいくつかだけはあるけど、ほとんどあのワードプレスにしか置いていなかったのです。もう古くなってしまった内容ではあるけど、それでも、私にとっては大事な文章だった、、
私は撮った写真はかなりとっておく方です。うっかり写真を削除してしまうと、その思い出自体もなくなってしまうようなショックの受け方をしてしまう。
そして、会社の公式サイトも。下書きに下げたくらいの気持ちでいました。しかしもうすでに、私の知らない瞬間に、インターネットの海の藻屑となっていたのでした。
このサーバドメイン事件を、私はみくっちに毎日話していたそうです。
ある日「こんなことがあってね、ショックだったんだ」と話すと、「それ、しき毎日言ってるよ」と。全然気づかなかった。。そうか私はそんなにショックだったのか。
しばらくそのことに思いを巡らして、気づきました。
私、自分の文章が消えたこともショックだったけど、それ以上に会社消滅のショックを再体験してるんだ...
会社の廃業は、文章に起こすにはあともう少し時間が必要なくらい、私にとって(もちろん一緒にやっていたみくっちにとっても)衝撃がありました。
業務量の多さというよりも、感情を処理しきれていなくて、そのせいでサーバドメイン事件に気づけなかったのかったかもしれません。
とても悲しかった。
会社で得たことはとても多かったし、多くの価値が生まれたし、廃業や解散も起こるべくして起こったし、その後もみんな生きているし、、でも、とても悲しかった。
私の”経営”はめちゃくちゃでした。客観的に見たら、私たちの会社は潰れて当たり前でした。(もちろんその「現実」もみんなで作り上げた結果であるという量子論的見方はできますが)
でも、私の中では自分なりに一生懸命で、会社はある意味でみくっちと私の子どものように私は思っていたのかもしれません。お金だけではなく、たくさんの気持ちや期待を投じてしまっていました。それが、どんどん崩れ去っていくのをどうしようもできませんでした。
これがもし本当の子育てだったらと思うとぞっとする... まあ、いざという時は一家離散も仕方ないかもしれないが... そうだな、そういう意味では子育ての練習ができたかもしれないけど...
兵どもが夢の跡。
という芭蕉の句が、私の心象風景として浮かんでいました。
(夏草や兵どもが夢の跡)
そこにあったはずの砂城は、跡形もなく消え去りました。
100年後には、私たちのことを覚えている人もいないかもしれない。多くの人たち、会社、活動、消え去っているだろう。その一つなんだから、どうせ消えるんだから、いいじゃないか...
癒しのパワー
みくっちが、毎日同じことを嘆く私を見かねて、背中に手を当ててレイキヒーリングをしてくれました。
徐々に体の中が溶けていく感じ。。自然に涙がでてきました。私は悲しくて、とても悲しくて、その気持ちを固めて地中に埋めてしまっていたのだと気づきました。
その気持ちに浸っていたら、もう過ぎ去ったことなんだということがしみじみと感じられて。楽しかったこと、大変だったこと、辛かったこと、いろんなことがあって、、本当にいろんなことがあった。。。私はもう悲しんでもいいんだな、と、埋まっていた感情が私の元に帰ってきました。
選曲が渋い!
そのヒーリング中、いつのまにか私の頭(というか心というかイメージというか)では中島みゆきの「時代」が流れていました。
中島みゆき『時代』
今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど
そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わってめぐり逢うよ
旅を続ける人々は
いつか故郷に出逢う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアをでる
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ時代はめぐる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人達も
生まれ変わって歩きだすよ
なんて感動的な歌なんだ。。改めて歌詞を読んで、また沁みる。。
それにしても選曲が渋い!!笑
そして、みくっちの頭(心、イメージ)では、『いつくしみ深き』のメロディが流れていたらしい。同時に、別々の曲を聞いていたっていうのが面白かった。
今は上記のように賛美歌として有名ですが、その昔明治の時代には日本語の歌詞がつけられ、文科省唱歌『星の界(よ)』として歌われていたらしい。
みくっちのイメージでは、歌詞の存在感なしでメロディだけ。宇宙にずっと存在しているなぐさめのメロディ、という感じだったということで。
こちらもまさに私にドンピシャ!
とても悲しいことがあって癒されたいとき、おすすめです。
生まれ変わって歩き出す
そんなことヒーリング事件もあって、改めて気持ちが一新され、
これからも自分らしく生きていこう、活動していこう、やりたいことをやろう、やりたいか分からないこともいろいろやろう、飽きたらやめてもいい、とにかくやってみよう。その中で育っていくことがあるかもしれない。そんな気持ちになりました。
そんなわけで。
しきたん、レイキヒーリング始めます
レイキとは...ひとまず宗教ではありません。あやしい壺を勧めたりすることもありません。笑 ただ手からの自然のエネルギーを体にあてることで身体やメンタルが癒されるよって話です。
私は数年前に習得して、あまり使っていませんでしたが(おっと。。)
最近頻度高めに使っていて、使うほど効果を感じます。
また内容詳細は別記事で書きたいと思います。
ではでは。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!この記事が面白いなと思ってくれた方、はてなスター、ブックマーク、読者登録、ぜひお願いします♡
かしこかしこ( *・v・)0(_ _)0( ・v・*) ごきげんよう♪
ps.なんでもやろう!ってノリで、突如友人宅に押しかけて初ペンキ塗り。笑